波紋

9・11です。紀子さま、お誕生日おめでとうございます♪お子様とともに、健やかであられますように。


9・11といえば、アメリカでの同時多発テロですね。衝撃的な事件です。
5年前、たまたまテレビをつけたらちょうど一機目がツインタワーに突っ込んだところでした。そして、2機目が突っ込むのをリアルタイムで目撃しました。が、最初は映画かドラマだと思っていて、「こんな時間にNHKで何の番組やってるんだ?」などと考えておりました。まさか、現実の話なのか…?と認識できるまでに結構時間がかかりました。
9・11は世界に波紋を投げかけました。未だにその波は収まっていないと思います。


こういう大きな出来事、ことに戦争やテロのように人命が奪われる出来事が起きるとよく聞こえてくるのは「個人は無力だ」という言葉。戦争やテロをやめさせることも出来ないし、テロから自分自身の生命を守ることもおぼつかない。奪われている命を助けることができない。ああ、なんて無力な我々なのだろうか。
確かに、個人では何も出来ないと思います。生きて行くことさえ出来ません。それでも、個人が全くの無力だというわけではないと思うのです。「個人の行動は世界に対して影響を及ぼすことができるのだ」というのが自分の考えです。街角で「戦争反対!」と叫んでも戦争が終わるわけではない。でも、誰かが叫んだことに共感してくれる人がいて、共に叫んでくれたらどうだろう。大勢の仲間と一緒に叫んだらどうだろう。それで戦争がすぐには終わらなくても、それを終わらせるための一つのきっかけにはなると思うのです。世論で世界を動かす。誰かが投げた心からの言葉の波紋が世界に広がって、世界の一部を変える力になり得るのではないだろうか。…というのは単に自分の頭の中の妄想に過ぎないのかもしれません。だけど、自分が何気なく行った行動が他のものに影響を及ぼすことはあると思います。例えば、街中で何気なく上を見たら自分の向かいの人もつられて上を見てしまった、というように(低次元の例えしか出来なくてすみません)。
9・11を起こした人達は、自分達の行動がアフガニスタン空爆につながるとか、イスラム系の人々への差別意識につながるとかいう影響を及ぼすということを想像していたのでしょうか。今となっては分かりません。彼らは彼らの信念に基づいて満足して逝ったのかも知れませんが、自分達がしたことが誰に、どのような影響を及ぼすのかということを考える想像力には欠けていたのではないかと思います。しかしもしかしたら、戦争による多数の民間人の死も、イスラム系移民に対する差別の目も想定内でテロを起こしたのかもしれません。それに気付いていながらテロを起こしたのだとしたら、あまりに残酷な人達だとしか言いようがない…。そんなことして何になるのか、と問うてみたい。できないけど。


だらだら書いてますが、とにかく個人は個人のもつ影響力というものにもっと注意を払うべきだということです。よい影響も、悪い影響も波紋のように広がっていきます。
そんなことを述べるのに9・11を持ち出すな、と言われるかも知れません。9・11特集なんかを見ていてふと考えたことをだらだら書いただけなのでその点は勘弁してくださいm(_ _)m